回顧(高2)

『賢者たれ。』だっただろうか。中学一年生の一番初め、一学期始業式に言われた言葉でした。五年も前の事ではありますが、今でもうっすらと覚えています。確か会場の一番前に座っていたような気が...

賢者、とは何なのでしょう。知識が豊富で、それを生きるのに活かすことが出来る人間を指すのでしょうか。それとも、世のため人のために考えて、率先して動けるような人間を指すのでしょうか。あの時校長先生が言っていた賢者は恐らく後者の方なのでしょう。しかし、それが分かっていてもなお、私は未だに"賢者"というものが分からないまま、考え続けています。

私は中学校から入学しましたが、入学当初はこの学校の"家族"的な雰囲気に馴染むことが出来ませんでした。ある時自分のこれまでの経験から考え、一般的な在り方から逸脱していると思ったことに対して私が異を唱え、その後しばらくその周囲と馴染むのに苦労したことがありました。私はこの時確信しました。ああ、これが新しい環境に入るということなのか、と。賢い人ならきっとここでそこでの在り方を受け入れ、"家族"に順応しようとするでしょう。ですが、私にはそれが出来ませんでした。おかしいと思ったことに対して、自分の常識を貫こうとしたのです。

おかしいと思うことに対して、自分の経験からつちかった常識と照らし合わせ、おかしいと言うことは愚かであったのでしょうか。適者生存のこの世界においては、きっとそれは愚かなことであったのでしょう。しかし、あの時に取った行動は、つたなさはあったものの間違いではなかったと今でも思っています。恐らく私は、あの場で"賢くて正しい事"をするべきだったのでしょう。あの時の私にはそれが出来ませんでした。では、今ならどうでしょうか? ...多分、今でも、出来ない気がします。正しさはその人の生きてきた世界によって大きく変わります。それを理解した今で、あの場所における正しい行動とは何だったのかがより一層わからなくなってしまいました。こうして考えてみると、無知は案外強いのだと思えます。もちろん、無知のままでは人は生きていけないし、人は成長するにつれて色々なことを知っていくので、無知であり続けることが不可能なのは理解しています。

賢い選択をしたがそれが正しくはなかったり、正しいと思った選択をしていてもそれが愚かであったりと、なかなか"賢者"にはなれないものです。もしかしたら、考える事は意味のない空虚なことで、一番楽なのは世界に身を委ねて何も考えないで生きていくことであったりするのかもしれないし、ある人はそんな人間を"賢者"と呼ぶのかもしれません。私はそれも正しさの一つだと思います。波風立てずに生きていくことは、何も生みださないかわりに、何も間違えないからです。

もしも"賢者"がそうであるのならば、私はその反対の"愚者"であるのでしょう。必死になって無駄なことばかり考えて、変わることに怯えて間違えてる。それが私です。そんな私の独白をきいてくれたあなたは、この先どんな世界をみて、どう生きていくのか。私からは何もわからないですが、もしこのちょっとした文章が、あなたの生きる世界への助けに少しでもなってくれていると嬉しいです。 (2 M.K)

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