

体育科教員 / 中学サッカー部顧問
田中 謙吾
1989年12月30日生まれ。小学校・中学校・高等学校と暁星で学び、日本体育大学へ進学。大学卒業後は、プロサッカー選手として、AC長野パルセイロ、松本山雅FC、いわきFCでゴールキーパーとして活躍。2024年シーズン終了を期に引退、翌25年4月より体育科教員として暁星で教壇に立っている。
サッカーはうまいだけでは高いレベルまで上り詰めることはできない。生徒一人ひとりが自らの課題を見つけて取り組む主体性やコミュニケーション力などといった社会性を身に着けていく必要があると力説する田中謙吾先生。暁星サッカーとして、「勝てばいい」という考えに偏ることなく、サッカーを通した人としての成長を意識しながら指導しているという。
高いレベルまで上り詰めるには、人間性が大切であると語る
教員になりたいという思いはいつ頃からあったのでしょうか。
田中先生
高3の夏くらいだと思います。大学進学やその先の就職まで考えたときに、「教員」という選択肢を意識したのが最初でした。そこには父の影響が大きかったですね。
父は暁星の教員としてサッカー指導もしていたんですが、簡単に言うと、かっこよかったんです。誇らしくて、友だちに自慢していた記憶もあります。
ただ、父は2003年の夏に亡くなりました。そのとき、OBの方や先生方から父の話を聞く中で、「こんなに多くの人に慕われていたんだ」と実感して、尊敬の気持ちがさらに強くなりました。
そして本格的に教員を意識したきっかけは、いわきFCでの契約を最後に、プロ選手として引退しようと決めたときです。
それまでは支えてもらう立場でしたが、今度は教育現場などで若い選手を支える側に立って、誰かの夢や目標を後押しできる立場になりたい。そう強く思ったんです。
ちょうどそのタイミングで、暁星学園で体育科の公募があると知りました。自分の中に、「父が見ていた景色を、自分も見てみたい」という思いもあって、試験を受けることになりました。暁星の教員になったのは、それがきっかけです。
教員として心がけていることや、教員として生徒に伝えたいことを教えてください。
田中先生
プロサッカー選手から教員という立場に変わりましたが、「自分を偽らない」ことは大事にしています。取り繕うのではなく、ありのままの自分で生徒や先生方と向き合いたいんです。教員になったからといって無理に作るより、これまで築いてきた自分のパーソナリティを大切にしていこうと思っています。
それから、人として大切なこと――挨拶や時間を守ること――は特に意識しています。実はこれ、父の教えで、「あ(挨拶)・じ(時間)・み(身だしなみ)・こ(言葉遣い)・し(姿勢)・そ(尊敬)」って言うんです。当時はそれができないと厳しく指導されました。
体育科の教員として保健体育の授業も持っていますが、「教える」というより「伝える」ことがあると思っています。
というのも、中学2年の夏に父を亡くして、身近な人って、いついなくなるかわからないんだと痛感したんです。だからこそ、周りにいる人を日頃から大切にしてほしい――これは生徒の前でもはっきり言えるし、伝え続けたいことですね。
生徒を教える立場になって、プロサッカー選手としての経験は役立ってますか。
田中先生
役立っています。やはり人間性が大切であると学びました。サッカーがうまいだけでは、高いレベルまで上り詰めることはできません。そこには、継続する力や自ら課題を見つけて取り組む主体性、コミュニケーション力などといったさまざまな社会性が求められます。そうした人間性はJリーグの舞台でもピッチのプレーに表れます。そしてそれは、学校生活でもまったく同じです。サッカーだけを頑張ればいい、勝てばいいということではありません。
部活動は、競技力向上の場であると同時に人格形成の場であり、社会性を育む大切な機会です。だからこそ私は、まず学校生活を大切にすることを常に伝えています。
「勝てばいい」という考えに偏ることなく、サッカーを通して人として成長できるよう、これからもしっかりと指導していきたいと考えています。
部活動中も積極的に生徒とコミュニケーションをとっている
暁星で学ばれていた時の忘れられない思い出があれば、お聞きしたいです。
田中先生
どちらかというと僕は、小・中・高を通して目立ちたがり屋で、迷惑をかけるくらいやんちゃしていたと思います。
でも先生方は、悪いことは悪いとはっきり言ってくれました。友だちもそうですが、僕のパーソナリティ自体を否定するのではなく、人間性は認めたうえで向き合ってくれたんです。暁星は多様性を大切にしてくれる学校で、いろんな生徒がいる中で互いに認め合って学んでいる――それを肌で感じてきました。サッカーの思い出で言うと、高2のときに暁星サッカー部が東京都代表として全国高校サッカー選手権に出場しました。僕はピッチには立てなかったんですが、メンバーとして帯同できたのは大きな経験です。暁星はサッカーも一流、勉学も一流――それを体現した世代でしたね。
当時の先輩たちは、高3の12月30日まで選手権を戦ったうえで、年明けから受験に挑みました。出場メンバーの中には、現役で、一橋、早稲田、慶應、上智などの難関校の合格をもぎ取った人もいれば、医学部に進んだ人もいました。「覚悟を決めて取り組むって、こういうことなんだ」と感じましたし、その努力を間近で見られたのは忘れられない思い出です。
この学校で教えることができて良かったなと思うことってありますか。
田中先生
現役時代は、身体が資本でした。他の選手より良い準備をするため、食事・睡眠・休養には特に気を配ってきました。その経験は、現在担当している保健の授業の内容と重なる部分が多く、自身の体験をふまえながら指導できていると感じています。
もう一点は、生徒たちと過ごす時間が好きなことです。長期休みなどで顔を見ない日が続くと、みんな元気にしているかな、と自然と気になってしまいます。そんな感覚を持つようになって、父が教員として働いていた頃、家になかなかいなかった理由が少しわかりました。
もちろん父は家族を大切にしていましたが、それと同じくらい、生徒一人ひとりのことも大切にしていたのだと、今になって実感しています。
サッカー部顧問としての目標と意気込みをお願いします。
田中先生
目標は全国大会で優勝することです。
ただ、それを生徒に押し付けるつもりはありません。生徒たちには、「僕が引き上げる」のではなく、「自分たちで引き上げていく」ことが大事だと、常に話しています。
プロとしてやってきて感じたのは、人に引っ張ってもらって伸びることもあるけれど、最後は自分で考えて自分で行動できないと、高いレベルには行けないということです。
サッカーに限らず、社会に出てからも、自己実現のために自分をコントロールする力が必要になります。そこに気づいてほしいですね。
それからもうひとつ、はっきり伝えたいのは、「勝つことは目的じゃない」ということです。まず学校生活が一番。それが土台にないと、本当の意味で強くなれない。うまいだけでは見られない景色がある――それを伝えていきたいです
サッカーを通して人として成長できるよう指導している

