2026.10.01 キリスト教

「地の塩、世の光」――暁星の宗教教育が育むもの

「地の塩、世の光」――暁星の宗教教育が育むもの
INTERVIEWEE

宗教科教諭 / 教科主任

石井 政仁

暁星の宗教科教諭の石井先生ご自身も、少年時代はカトリック校で過ごし、宗教の時間に大きな問いと向き合ってきました。マリア会の教育理念や、生徒が主体となって取り組むシャリテ委員会の活動など。暁星の宗教教育が育む「もう一つの価値」とは何か、その核心にじっくりと迫ります。

人生の壁にぶつかることや、なりたいものになれなくても、世の中の価値はそこだけではないと語る

石井先生ご自身もカトリック系の学校のご出身だとうかがいました。

石井先生

私は暁星の姉妹校である長崎海星の出身です。生まれてすぐに両親の希望から教会で洗礼を受けた、いわゆる幼児洗礼という背景があります。小学校時代、日曜日の翌日に学校へ行くと、みんなはテレビ番組の話をしているのに、自分だけ前日はミサや教会学校に行っていた。「なぜ自分だけ他の子と違うんだろう」と、少年ながらに感じることもありました。

それが変わったのが、中高で週1時間あった宗教の授業です。祈りの時間やミサの時間が、世間の喧騒や忙しさから離れて、ただ自分と神様に向き合える、ある意味自由な時間だと感じるようになりました。

大学に進学する際も、自分が信じているものは何なのか、学問的にもう少し勉強してみようと考えました。20年間を振り返ったとき、カトリック信者であることは自分にとって日常でしたが、一般の人たちとの間には大きなギャップがあったのも事実です。「その差を埋める作業をしてみたい」という思いが、教壇に立つきっかけのひとつになりました。進学先が神学部だったこともあり、教員を目指そうと決めた時には、宗教科の教員としてという思いがはっきりしていました。

お祈りやミサの時間は自分と神様と向き合える時間だと感じていた

マリアに「倣う」――謙虚さを模範とする教育

暁星は「マリア会」を設立母体とする学校です。マリア会ならではの特徴について教えてください。

石井先生

イエスの誕生から十字架の死、そして復活。その後まで、生涯を通してイエスに従い続けたのがマリアです。最初から最後までイエスに寄り添い続けた女性であり、母であり、人間でした。修道会としてのマリア会が生まれた背景には、そういうマリアに「倣い(ならい)ましょう」という思いがあります。選ばれた存在であるマリアの名を頂いている修道会として、マリアを模範として敬い、教育や奉仕活動を通じて社会に貢献する。これが一番の特徴だと言えると思います。

「倣う」というのは、具体的にはどう捉えたらよいのでしょうか。

石井先生

聖書に出てくるマリアの姿はそれほど多くありません。ですが、数少ない場面に描かれているのは謙虚さや謙遜さです。神様の前ではとるに足りない存在であるということを、いつも心のどこかに持ち続けながら生きていました。倣うべきところのひとつは、そうした姿にあると考えています。

そのマリア会らしさは、日々の学校生活や行事の中でどのように現れているのでしょうか。

石井先生

お祈りやミサの時間を大事にすることもそうですが、本校には「シャリテ委員会」という委員会があります。こうした活動を通じて奉仕をしていく、誰かのために助けになることをしていく。これを大事にしています。本校では、校長をはじめ生徒一人ひとり、教職員一人ひとりがシャリテだという考え方をしており、シャリテの精神にのっとった考えを大事にしています。実際の活動では、クラス代表を募り、そのクラス代表を中心に生徒自らが企画立案をして、街頭募金への参加や被災地ボランティア、地域の清掃活動などを実施しています。

※「シャリテ(Charité)」はフランス語で「慈愛」「思いやり」を意味する言葉

具体的にはどのような活動があるのでしょうか。

石井先生

最低でも学期に1回、校内募金として各クラスに協力を呼びかけます。募金先をどこにするかは、シャリテ委員会の高2・高1を中心に話し合って決めていきます。ある代(だい)は自然環境保護のための募金活動をしようという声が出たり、ある代は自分たちの手で集めたお金を実際に近隣の団体に届けに行き、そのお金がどう使われるのかを勉強がてら話を伺いに行こうというアイデアが出たりします。こうした活動を通して、課題を抱える人のために何ができるかを学ぶ機会を得られる。それがシャリテ委員会の教育的な価値だと思っています。

生徒自らが企画するシャリテ活動で、奉仕の心を育んでいる

「なりたいもの」だけではない、もう一つの価値を

暁星の教育プログラムの中で、宗教科という教科の位置づけはどのように考えていらっしゃいますか。

石井先生

この学校が宗教教育を通して大事にしている思いのひとつは、なりたいものになるのはもちろん大事だけれども、自分の使命や生きがいと結び付けて考えられる人間になってほしいということです。

例えば、医学に進みたいといった具体的な目標は、はっきりしていてわかりやすいものです。ですが、医者になっただけで幸せかと言われれば、それは実際になってみないとわかりません。もちろん医者だけでなく、いろいろな職業に就く人、事業を起こす人もこの学校からたくさん出ています。どの道に進むにしても、簡単には生きていけないような瞬間や壁に当たることは必ずあるはずです。そんな時にも、神様がちゃんと支えていてくれる。何が幸せかということを、中高生、特に高校生には考えさせたいと強く思っています。

ダメだったらそこからやり直せばいい。なりたいものになれなくても、世の中の価値はそこだけではないはずです。気づいたときに、気づいたところからちゃんと前を向いていけるように育てたい。それが、暁星の宗教教育が目指しているものなのだと思います。

暁星の卒業証書には『地の塩、世の光』という聖書の言葉が記されています。これは「そうなりなさい」という命令ではなく、「あなたたちはすでにそうである」というイエスからの宣言です。何かを目指さなければならないのではなく、すでに与えられている恵みに自信を持ち、自分らしい輝きを発揮してほしい――。強い信仰心を持たない家庭のお子さんにとっても、宗教教育は、人生の壁にぶつかったときに前を向く力を育む、大切な時間になってほしいと思います。

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