僕は研修旅行で広島に行ってきました。そこでは、原爆の無残さを痛いほど思い知らされました。広島に行く前には、俳優の佐々木梅治さんによる一人劇「父と暮らせば」を観劇し、公民の授業で「夏服の少女たち」も観て、原爆がどれほど恐ろしいものなのか知ったつもりでいました。しかし、広島に来て自分の目で実際に見て感じたとき、それをすごく後悔しました。僕は、原爆を経験していないからその重みを完全に知ることはできません。しかし、これほど想像のはるかに上回る無残さだとは思いませんでした。原爆が爆発した瞬間、運良く地下にいた人は助かったし、運悪く原爆直下の島外科病院に行っていた人は亡くなりました。その偶然の重なり合いで運命は決まってしまうのだと、なんて無残極まりないのだろう、と僕は痛感しました。
しかし、この残酷な出来事も時間が経てば忘れ去られ、その衝撃も薄れていってしまします。原爆被害者の数は減り、実体験を伝えてくれる人たちはいなくなってしまうでしょう。そして、人類はまたこのような残酷な出来事を繰り返してしまうことになりかねません。当時の人がどれほど苦しい思いをしたとしても、時とともに次第に記憶は風化していきます。現在、世界の平和は「核抑止論」という歪んだシステムによって成り立っています。日本は「非核三原則」を表明しているのにもかかわらず、実際にはアメリカに「核の傘」で守られています。このような仮初の平和で成り立っている世界が、僕はとても嫌です。だからこそ、今の大人たち、そして未来を託された僕たちが戦争の残酷さを知り、それを伝えていかなければならないのではないでしょうか。(中3 T・S)
僕たち中学3年生はこの秋、研修旅行で広島に行ってきました。広島は主に平和学習を目的として、原爆資料館や平和記念公園の碑巡りをし、戦争経験者である語り部さんのお話を聞きました。
これらの経験を通じ、僕は原子爆弾の恐ろしさを改めて痛感しました。それと同時に、当時の韓国人への待遇がとても悲惨なものだったということを知りました。僕たちは碑巡りをするにあたり、どのような碑があるのか、それが誰に向けて作られたものなのかなどの予備知識を授業で教わりました。そして、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の場所は、建立当時はなんと平和記念公園の外にあったそうです。今回見た時に平和記念公園の中にあったということは建立後に移されたということでしょうが、僕がとても驚いたのはその移された年というのがなんと1999年だということです。たったの25年前です。その頃にはもう日本は高度経済成長も遂げていて、戦争とは無縁の世の中になっていたにもかかわらず、この慰霊碑はそれまで移動されなかったのです。こんなに遅くまでこの慰霊碑が平和記念公園の外に置かれ続けたということに驚きを隠せませんでした。この旅行では、日本が原爆を落とされた被害者という事実だけでなく、加害者でもあったという事実を知ることができました。(中3 K・H)



