

高校3年生 / 音楽部 元部長
齊藤奨
4歳から海外で育ち、中学受験を経て暁星中学校へ。音楽部部長として掴んだ初の団体賞まで、多様な経験を積んだ齊藤奨くんが語る「選択肢の広さ」と「自由」が魅力の校風について聞きました。
多様な考え方や文化に触れた経験が自分の土台となっていると語る
4歳から海外での生活が長かったということなんですが、暁星中学を受けようと思ったきっかけを教えてください。
齊藤くん
小学5年の冬に帰国し、お世話になっていた中学受験塾の先生から「こういう学校も受けてみたら?」とアドバイスをもらい、その中に暁星があったんです。名前も知らなかった学校でしたが、ネットで調べているうちに興味が湧いて、帰国生入試で受けてみようと思いました。
他の候補には国際バカロレア(世界共通の大学入学資格)を取れるグローバルコースのある学校もありましたが、帰国生だと英語を活かした文系コースに進むことがほぼ決まっていて。当時はまだ文理どちらにも興味があり、サイエンスやテクノロジー系にも関心があったので、医学部でも工学部でも選択肢を広く持てるこの学校を選びました。
進路の方向性はもう決まってるんですか。
齊藤くん
環境エネルギー系の学科に進めたらと思っています。父の海外赴任に同行して海外の学校で8年ほど学び、授業でも環境について調べる機会が多くありました。特に、インドにいた3年間の影響が大きくて。街中の道は荒れていて、排気ガスや焚き火などで視界が白く靄がかかる場所も多かったです。通っていたアメリカンスクールでも環境汚染について学ぶ授業があり、それが環境問題への関心を深めるきっかけになりました。
入学してから「暁星ってこういう学校なんだ」と感じたことはありましたか。
齊藤くん
実は、受験当日がこの学校に来た初めての日だったんです。コロナ禍で学校見学もできず、「サッカー部が強い」「男子校」っていうくらいの知識で(笑)。
入ってみてまず感じたのは、みんなスポーツをのびのびやっているなということ。グラウンドが2面あって、休み時間もみんな運動して、活発なんだな、みたいな。 でも僕が高校生になってあらためて感じるのは、「みんなそれぞれの居場所がある学校だな」ってことですね。「この学校に合う人」という型があるわけじゃなくて、色々な価値観を持った人がそれぞれのポジションで学校生活を送っている。そんな学校だと思います。
音楽部の部長をしているんだよね。この学校には音楽系の部が2つあると聞きましたが、どう違うんですか。
齊藤くん
僕が部長を務めてきた「音楽部」はビッグバンドジャズで、他の学校でよくある吹奏楽やオーケストラとはちょっと違うジャンルです。もう一つの「室内楽研究部」はクラシックがメインで、弦楽器やピアノ、フルートなど少人数で管弦楽を演奏しています。音楽のジャンルや使う楽器も違いますね。
音楽部では、夏と冬に「日本中高生ビッグバンド社会教育協会 JAJE」主催のジャズコンテストとジャズフェスティバルに毎年出演しています。
2026年1月ジャズフェスティバル出演時の暁星音楽部
これまでで一番印象に残っているイベントを教えてください。
齊藤くん
一番印象に残っているのは、2026年1月の冬のジャズフェスティバルです。暁星音楽部として初の団体賞を受賞しました。部員全員の夢だったので、表彰式で暁星の名が読み上げられた瞬間は一生忘れられません。
2025年9月には、日本最大規模と言われる仙台の「定禅寺(じょうぜんじ)ストリートジャズフェスティバル」に出演する機会があったんです。音楽部OBの方からお声がけいただいたのですが、出演に向けた準備も大変になることから、「定禅寺に出るなら夏のジャズコンテストは見送ろう」という話が部内で持ち上がっていたんです。でも僕は、演奏の機会こそがみんなのレベルアップと達成感に繋がると考え、顧問の先生にも掛け合い、最終的には両方への出演を実現させることができました。
冬のジャズフェスティバルは、例年経験の浅い中学生が出演するかどうかが議論になります。今年は中学生にも出演の機会を持ってもらおうと、2曲のうち1曲は中学生を中心に編成し、多くの部員に出演してもらうことができました。この一体感が、団体賞受賞にもつながったのではないかと思っています。
部長として、メンバーをまとめるうえで一番意識していたことは何ですか。
齊藤くん
演奏面でロールモデルになることを、ずっと意識してきました。入部直後の中1の夏、父の再赴任でアメリカに行くことになり音楽部を離れ、中2の9月に戻った時にはトロンボーンでかなり遅れをとっていました。個人レッスンに通いだし、結局2025年の冬まで3年半続けました。
中3の時が一番練習した時期で、部活に加え、朝と昼の個人練習、週末の個人レッスンとがんばり、その冬のジャズフェスティバルで「優秀プレイヤー賞」をいただくことができました。がんばれば上手くなれる、一人ひとりががんばれば演奏はもっと良くなる。そんな思いから、部長をやりたいと思うようにもなりました。
がんばれば上手くなれる、その信念で部を導いてきた
海外生活の中で、自分の考え方の土台になっている経験はありますか。
齊藤くん
インパクトが一番大きかったのはインドでの経験、視野が広がったのはアメリカでの影響が大きいです。
インドでは安全面から、父の会社が手配したドライバーさんが送り迎えしてくれていました。リキシャーやバイクが車線なんて関係なくひしめき合い、クラクションも鳴りっぱなし。そんな中での通学でした。信号待ちのたびに、当時小学生の僕より幼い子どもたちが窓をたたいて物乞いをしてくるんです。貧富の差が大きいことは頭では理解していましたが、日々の生活の中で、そうした実態や社会のひずみを体験を通して学びました。「インドに住んでたの?どんなところだった?」って聞かれる度に、僕が目にしてきたそんな話をしています。
また、インドは世界一の人口で、みんな我こそはと主張します。通っていたアメリカンスクールも半分くらいがインド人で、自分の意見を強く言わないと押しつぶされてしまう場面が多く、「負けずに主張する」ことが自然と身についちゃいました(笑)。
1年間住んだアメリカでは、学校の年度始まりが9月で、8月生まれの僕はクラスでも一番年下というか、若い誕生月でした。
入学した学校は現地の公立校でしたが、ハーバード大学から程近い場所の学校であったこともあり、世界各国から来た子たちがいて、多様な考え方や文化に触れられたことが、僕の視野を広げてくれたと思います。
そうした海外での経験は、今の学校生活の中でどんな場面で活きていますか。
齊藤くん
英語はもちろん、海外生活の体験を話せる場面も多いですし、雑学的な知識もそれなりにあって、地理の授業などで「ちょっと有利だな」と感じることもあります(笑)。
インドのアメリカンスクールは富裕層の子どもが多く、通学時には路上生活を強いられる子どもたちを横目に、裕福な環境に身を置く同級生たちと学校生活を送る。こうした貧富の差や社会のひずみを肌で感じた経験があるからこそ、物事をひとつの側面だけで判断しない視点が養われたと思います。それが部活でも日常生活でも、今の自分らしさの土台になっている気がします。
社会のひずみを感じたインド生活での一枚(中央の親子は小学生の齊藤くんとお父さん)
最後に、この学校の好きなところを1つだけ挙げるとしたら。
齊藤くん
「自由」なところですね。外からは伝統的な堅い学校に見えているかもしれないけれど、実は型にはまらない感じ。文化祭では工夫を凝らして色んな企画をやるんですけど、音楽部の有志でもスカパラのコピーバンドを毎年やっています。先生方もボーカルや楽器で共演してくれてすごく盛り上がるんです。生徒として自由にやらせてもらっているなと、率直に思いますね。そこが、この学校の一番好きなところです。
